苦労は買ってでもしろ
昔から苦労は買ってでもしろと言われてきた。しかし最近は苦労と、その苦労から得られる知識や経験の価値が見合わなくなってきたと感じる。さらに言えば苦労は無駄にすらなってきている。
先日夏の甲子園で慶應高校が優勝した。坊主にせず練習も効率よく毎日2時間だという。多くの高校野球部が経験してきた苦労を省いた結果だろう。
多くの高校は今でも丸坊主にし、休みなく禁欲的な練習をするが、多くは甲子園に立つことすら出来ない。
慶應高校が優勝したのは多くの球児の苦労が無駄になった瞬間だと思う。甲子園に立てなくても努力した経験は無駄にならないと言うが甲子園に立つ事が目標であれば結果の出ない苦労は完全に無駄である。
丸坊主にし、休みなく練習し甲子園にも出らず苦労した経験だけが残る一方、慶應高校のように長髪である事のメリットを享受し甲子園でも成果を出し将来も勝ち確定だと考えれば苦労は無駄であり美化するべきではないと強く考える。
厳密に言えば目標に向かうまで苦労は発生するかもしれないが、苦労を目的にするのはバカという事だ。
丸坊主猛練習野球部は丸坊主にする事、猛練習する事を目的にしてる節がある。そして苦労してきた事をやたら美化してきた。
しかし慶應高校の優勝で坊主や猛練習は意味がないと証明された。
丸坊主にして猛練習したにも関わらず甲子園にも出られず無駄に苦労してきた老害達が仕事帰りにヤフコメでブチ切れてるのも想像に難くない。
野球に限らず苦労なんてものは手元のスマホでビッグデータにアクセスするだけで回避できる。
苦労を美化してありがたがってきた野球丸坊主世代の多くの苦労は効率化とテクノロジーの進化で無駄になっていく。
推薦入試は逃げという記事に思うこと
共通テストの季節だが、先日ヤフーニュースに「推薦は逃げ」という記事が上がっていた。
これについて思ったことは「推薦は逃げ」というのは正しいと思う。しかしながら逃げるというのが悪だとは思わない。
なぜなら真正面から戦って負けるより逃げて勝つ方が良いに決まっているからだ。
そもそも今の時代にスマホでググれば出てくる知識を7、8科目も勉強する必要があるのか甚だ疑問だ。
かくいう私も国公立大学の出身なので6教科8科目を勉強して来たわけだが英語以外ほとんど仕事で使ったことがない。
それでも自分一人食わしていくには十分すぎる食い扶持を稼ぐことは出来ている。
むしろもっと勉強より友人関係を大事にしたり恋人を作って”人間関係の勉強”をしておくべきだったなと思う。
未だ学校教育では恋愛=悪という風潮があるのも問題だと思う。
知識を詰め込み良い大学に入って人生安泰の時代は終わった。むしろこれからは人間力の時代で交渉力、決断力、根回しなどソフトパワーが今よりも重要視されるだろう。
田舎の自称進学校には8科目勉強して国公立大学に入れば幸せになれるみたいな信仰がなんとなくあって従ってきたわけだが、指定校推薦で早稲田に入った人のほうが楽しそうにしていた。
まとめれば立ち向かうことも逃げることもどちらも大事だということだと思う。
ギリギリ詰め込み教育世代の私の時代は8科目勉強して国公立に入るのが美徳だった。
ところが大人になってから気がついたのは推薦で入学して柔軟性が高い人間は仕事でも上手くいって家庭を築いて楽しそうにしているという事実だった。
そのような人間は高校時代8科目勉強している私の傍らで恋人を作りデートの予定を立てていた。
私は大人になってからそのような人間の台頭を目にすることで損した気分になり続けていた。しかし彼らのような生き方のほうがコスパが良いのは紛れもない事実だ。
だからこそこれからは私も”逃げ”ていく努力をしようと思う。
逃げるは恥だが役に立つというドラマがあったが、逃げるのは恥でもなく役に立つから今後自分も積極的に”逃げ”ていこうと思う。